ただそこは空虚だった(途中)

 自分の横でてきぱきと手際良く手を動かしている相棒のその様を見て、花村は彼のことを本当に男かとも疑ってしまった。今回、弁当を作るわけでも夕飯を作るわけでもない彼が料理に勤しんでいる理由はひとつ。自称特別操作隊の女性陣からのリベンジに受けて立つためだ。お題は「カレー」、いつか口に含み盛大に噴出してしまったあれをもう一度食べることになるのだろうかと、だとしたら我が相棒に全てを賭けるしかないと花村は内心怯えていた。そのためには、彼へのいかなる協力も惜しんだりはしない。
「あ、花村それとって。ほら、小皿」
「ああ、これか?」
 机に置いてある皿の中で一番小さいであろうそれを渡す。さんきゅ、と小さな微笑みで返されたと思えば、その無地で真っ白の皿に少しばかりとろ、としたカレーが盛り付けられた。それはよだれが出そうな程おいしそうで、漂う匂いを嗅ぐだけでどこか満たされた気分になった。彼はそれを味見できる程度に冷ますため二回ほど息を吹きかけたと思えば、僅かながらずずずと音を立て、飲んだ。皿にはまだ少しカレーが残っている。味を想像し、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「花村、味見する?」
「え……あ、俺物欲しそうな顔してた?」
「してた。あと、客観的な感想も欲しいから飲めよ」
 その言葉に、俺の心が元気よく跳ねた。
「まぁじで!? じゃあお言葉に甘えて、ありがとな相棒!」
 予想外の展開に素でこれでもかという程喜んでから、皿に口をつけた。口内に流れてくるそのカレーの出来はたいしたもので、たちまち俺のテンションは最高潮に達した。
「うわ、うっめー! すっげー辛いのにすっげーおいしい!」
「ありがと。……そういえば、審査は誰がするって? まだ聞いてないんだけど」
「え、あ、あぁ、審査!?」
 花村は思わず声を裏返してしまった。審査員は女性陣が決めているのだが、花村には教えてくれなかった。「リーダーには知られちゃ駄目」という理由で。……里中いわく、彼は人の好みを的確に捕らえ、それに合った料理を作ることができるので勝ち目がないらしい。身勝手といえば身勝手なのだが、花村はもし自分がその立場に居ればそうしたくもなるだろうと納得していた。それを簡略に説明してみせると、彼は苦笑した。
「ははっ、俺、どこまで超人だよ」
 そんなにすごいことできない。そういって肩をすくめ、花村に笑いかける。その笑顔につられて、花村も笑う。そしてふと、疑問を持つ。
「なあ、なんでお前ってそんなに料理とか、家事とか得意なわけ?」
 その問い掛けに、彼は何故か一瞬肩を震わせた。顔は下を向いていて表情を確認することはできないが、彼が会話に沈黙を生み出したことから判る。
(もしかして地雷?)
 花村が憂慮をし、顔を覗きこもうとするが、彼はそれによって弾かれるように顔を上げた。
「あ……えっと、俺の親が仕事忙しくて……ほとんど一人暮らしみたいなもんだったから、自然に」
 いつもの声にいつもの口調。だが、声のトーンが若干落ちていた。
「ご、ごめん」
 気まずい雰囲気。咄嗟に口から出た謝罪の言葉に、彼は何事もなかったかのように振る舞った。
「もう昔のことだし、今は花村達もいるから気にしてない。だから謝るなよ」
 そう言ってはにかむ顔をぼうと見ていると、やはり彼はよくできた人間なのだなと感心する。
(流石俺達のリーダーだ)

『気にしてないって? ……へぇ』
 リーダーとされた少年は、背筋にぞくりと悪寒が走った事に気付いた。


 そして審査会場……否、堂島家。
「おま、審査って菜々子ちゃん!?」
 花村の驚愕と同時に、審査員を知らされていなかったリーダーさえも驚きを隠せないようであった。それも仕方ない、彼の作ったカレーは花村でさえ「すっげー辛い」ものだ。辛さを旨味として感じることのできるカレーとあっても、菜々子が食べるのであれば話は別。
「お? 二人ともそんな顔してどしたの」
「まさか先輩、勝つ自信なくなっちゃった? かっわいいんだぁ」
「一撃で仕留めるから」
「や、つうか菜々子ちゃんの年齢的に無理っていうか、天城その文句怖い!」
 まさか菜々子だとは思いもよらず、大人向けの辛口カレーにしたことを深く後悔した。これでは花村や菜々子の期待に沿えずして終わるかもしれない、そう思うとそれこそ少し寒気がした。
「どうしよ、カレー自体はヤベーくらい旨いのにな」
「菜々子にはちょっと無理か……」
 そんな事を話していると、菜々子は花村達の目を盗んでカレーを口へ運んだ。気付いたときには既に遅かった。
「あ、ちょ、菜々子ちゃん……!」
「――おいしい! 辛いのに、すっごくおいしいよ!」
 ……お世辞ではない、無垢な笑顔だった。その感想は何より嬉しかったようで、彼は楽しそうに目を細め、菜々子の頭を撫でた。
(よかった)
 料理対決は無論リーダーが勝利したが、里中たちは妙に納得していた。ここまで人を喜ばせることのできる料理などそうそう作ることができないからだ。そして、彼の作ったカレーがおいしいからとここには居ない捜査隊のメンバーにもご馳走することになった。

『独りは怖いよな?』
 皆を見送ったあと、少年の脳裏に響いたこの声の正体。








『思い出したな』
 液晶の向こうから語りかけてくるそれは。

 始まりはなんだっただろうか。確か、誰も帰ってくるはずのない家の居間で呆とついていないテレビを見ていただけだったのだと思う。見ていたというよりは、視界の端にただの背景として捉えていただけのようにも思える。そこで、その背景に変化が現れた。何も考えず視線を向けて、そこに――そのテレビに映ったものを見て、一気に頭が冴えたのだ。
『何も考えられない。それ、わかるぜ』
 そう言って吊り上げられた口角に、言葉を失った。
 それは、俺だったのだから。
『お察しの通り、俺はお前。さあ、俺が映った事でお前はどうなるだろう。』
「テレビに入れられる、って言いたいのか」
 だが、犯人の生田目はすでにどこかの病院に収容されていて、これ以上犯行を繰り返すなどできるはずがない。
『薄々は感づいているはずだろ? 一連の事件に矛盾する事柄があることを』
「詳しくは判らない」
『……判らない? 否定はしないんだな』
 ククッと喉を鳴らし、笑う様はきっと俺のものではない。
『お前が一向に気付かないから、話し掛けてやったんだけど――このままじゃお前、何も知らないまま落とされてたぜ?』
 その言葉に、少し前から聞こえていた何者かの声を思い出した。
『思い出したな。実はお前、雨のあとの霧の日――映ってたんだぜ』
 マヨナカテレビ。

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