水無瀬 眞 考察

クォンタム・デビル・サーガ アバタールチューナー
水無瀬眞についてかんがえたよ

まず3巻のキスシーンについていろいろ考えたり。
とりあえずあのキスは一幾に今は亡き恋人であり眞の双子である螢のことを想起させようとした、に一票。
眞の目的は一幾にセラを誘拐させること。そのためには唯一一幾の平静を欠かせる要素である螢を一幾に意識させる必要があった。EGGのドームに埋め込まれた螢の脳のイメージ(または意識)を、セラを介して一幾に見せるため。セラと螢を重ねさせるため。
そこで螢と瓜二つである自分を使った。螢と同じ顔をしている眞と恋愛感情を想起させる行為、つまり「キス」をすることで、一幾に螢のことを意識させ、起爆剤としたかったんだろう。

それともう一つ。
やはり眞の意地や独占欲もあったのではないかと思う。この際とりあえず二人は男同士だということは置いておく。
眞はただ、愛や、自分を認めてくれる人が欲しかっただけなのでは。
小説中にもあるように、「螢にはあって僕にはない」ものは、やはり作り物である自分を認め、自分そのものを愛してくれる人。
そして死に際に一幾に助けを求めていることも含めて考えると、あのキスはただ単に「僕を見ろ」というだけのもの。

眞はデザイナーズ・チャイルドであるがために、容姿も頭も良すぎた。自分は両親の見栄のために見目よく造られたものだということ、周りの大人が人間に対するものではない類の好奇の目で自分を見ること、そして人形である自分自身。すべてに嫌悪を抱き、長い時間をかけて治しきれないほどに歪んでいった。
それは螢もそうなのだが、螢は眞の鬱憤のはけ口にされ、精神病を患い、兄のことを悪魔と形容するまでになったために、歪みよりそちらが深く進行していったのかもしれない。おそらく、人生のなかで眞のように色々なことを考えるような余裕が与えられなかったのでは。

眞は頭がいいけれど、他人の愛に触れなかった(また、触れようともしなかった)ために、人間的には成長しなかった。
「どうして僕には何もないんだ?」って思ったときには、「助けて、一幾」って縋りたいときには、もう何もかも遅かった。
一幾も螢ももういない。二人とも眞自身が殺した。それをヒートの一言で悟った。

眞はずっと「操り人形にはならない、僕が操るんだ」って思ってひたすらにのし上がろうとしてきたが、結局、協会にもマダムにもセラにも操られているまま。
ずっと、人生を通して頑張ってきたのに。
でも最初から、それが本音ではなかったんだと思う。
人形としてではなく人間として認められて愛されたい。多分これが本音。
眞は最期の最期までそれに気づかないまま、自分でもよくわからない焦燥と絶望を抱えて死んだ。救いもなにもない。報われなさすぎる。
それでも最期に他人に助けを求めた、それが眞の初めての成長なんじゃないかな…?


水無瀬眞ってキャラは複雑すぎて、ほんとに一人の人間みたいな感じがして、
私なんかには到底考察しきれないけど、私は考えれば考えるほどやっぱり大好き。

メガテンにあの世とか、そういうのはないけど、できるならクォンタムの最後のあの3人のように、眞と螢と一幾が楽しそうにしててほしいなあって思います。

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